自分の誕生日が来るたびに、
2人の友人を毎年思い出します。
高校生のころ、三年間約20人が持ち上がりで、一緒に学びました。
高校生となるともう大人で、争いやもめ事もなく、
三年間同じクラスなので、和気あいあいとした楽しい3年間でした。
その中に、
わたしと同じ誕生日の子が2人もいたんです。
約20人の中に同じ誕生日がわたしを入れて3人。
そんな偶然な、運命的な出会いの中を過ごし、
2人とも結婚式にも来てもらった仲でした。
去年。
そのうちの1人が亡くなりました。
私の病気が見つかる前に、
彼女の病気が見つかり、治療をしていたのですが、
良くなることはありませんでした。
コロナのど真ん中で、コロナがなかったらたくさん会いに行ったのに。
行けなかった。
一度だけ、コロナ禍だけど、
一目会いたいと
私の病気が見つかる前になりますが、
たくさんの食べ物を持って渡しに家へ行きました。
彼女は治療中だったので、何か病気をうつしてはいけないと、
持っていくだけだったけど。
食欲もあまりないようで、
食べ物を持って行っても迷惑だったなと今でも思いますが、
私の気持ち、エネルギーをたくさん渡したくて、たくさん持って行きました。
それが会ったのが最後になりました。
それから
私の病気が見つかり、
彼女にLINEで告げると入院していた病室から
私に電話をくれたんです。
けれど、ちょうど、子供達がいる前で
電話に出ることができませんでした。
すでに体調がよくなかったんでしょうね。
1ヶ月経って、わたしも入院したから、
ゆっくり話をしようと連絡したら、もう電話ができませんでした。
LINEを返すのがやっとだと返ってきました。
私の最大の後悔です。
わたしは、人のことを根掘り葉掘り聞くことが苦手で、
彼女にも、病状について詳しく聞きませんでした。
彼女も私に詳しく話しませんでした。
後から話を聞くと、親にも辛いなど話をしなかったそうです。
私ではなくても
誰か彼女の話を聞いてあげる人、話せる相手がいたらいいな…と願うばかりです。
そして、
わたしがその「誰か」になりたかった。
なればよかった。
と
たら、れば、と思ってしまうのは
残された側の人の宿命かもしれません。
「彼女の分も」なんて言えないけど、
生かされている限り、
私が生きた今日は
あなたが生きたかった一日。
忘れずに心に留めておきたいです。